慶應通信(慶應義塾大学通信教育課程) 法学部乙類学生のジャーナル日誌。

「戦争の技術」(序)のメモ

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nikolaschla(ニコラシカ)こと、穂崎萬大(ほざき・かずひろ)。ソーシャルプランナ。補綴家。2017年慶應通信法学部甲類71秋期学士入学→乙類へ転類。ガンプラ/サイゼリヤ/ブロンプトン/天声人語/ポメラ。明治100年静岡市生まれ。

マキアヴェッリ「戦争の技術」(全集第1巻)の序は、こんなふうにはじまります。

フィレンツェ市民でありフィレンツェ国書記官ニッコロ・マキァヴェッリがフィレンツェ貴族、ロレンツォ・ディ・フッリッポ・ストロッツィ閣下に捧ぐ

ここでいう、〈ロレンツォ・ディ・フッリッポ・ストロッツィ閣下〉とは、メディチ家がフィレンツェに復帰以降、マキアヴェッリの擁護者のひとりで、1520年には枢機卿ジュリオ・デ・メディチ(のちの教皇クレメンスⅦ世)にマキアヴェッリを紹介する人物です。

そのストロッツィ閣下に捧げるべく、マキアヴェッリは〈戦争の技術〉を書き始めますが、叙述はここ(序)まで。第1巻からは〈対話篇〉がはじまるのですよね。

マキアヴェッリは、市民生活と軍隊の存在とが現在かけ離れていることを心配(憂慮)しています。

しかしながら、古代の諸制度を考えてみれば、当然とはいえ、この市民生活と軍隊生活ほど互いに親和し、似通い、一体となっているものは他には見あたりません。

といいます。その理由として、

すべての仕事は、人びとの共通善を図らんがために、市民生活のただ中で制度化されており、またすべての制度は、法と神を畏れて生きんがために作りなされたものなのですが、そのいずれも自国民による防衛力が準備されていなければ、甲斐のないものとなってしまうからです。防衛力こそ見事に配備されれば人びとを支え、たとえまとまりを失った人びとにとっても、その後ろ盾となる。逆に言えば、良き諸制度でも軍事力の助けがなければ崩壊するばかりです。それは、宝石や黄金をちりばめた豪華絢爛たる宮殿の住人たちが、屋根がないばかりに、いざというとき雨を凌ぐ手だてを持ち合わせていないのと同じです。

こう言って市民生活と軍隊とはもともと近しい存在であるべき、かつ、だったはずだと説くのですが、

ところが、長い年月の間に軍事制度はまったくのところ腐敗し、古代のやり方とは切り離されたたため、軍隊とは憎むべきもの、軍事力を行使する連中との関わり合いなど回避すべきもの、といった誤った見解が生じてしまった。

と嘆きます。そこで、マキアヴェッリが自分で見て経験した軍隊(=戦争)についての見解を残すことにしたと言っています。

序はここまで。このあとは第1巻に進みます。

 

 

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nikolaschla(ニコラシカ)こと、穂崎萬大(ほざき・かずひろ)。ソーシャルプランナ。補綴家。2017年慶應通信法学部甲類71秋期学士入学→乙類へ転類。ガンプラ/サイゼリヤ/ブロンプトン/天声人語/ポメラ。明治100年静岡市生まれ。

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