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【学習 #5-2】宮澤喜一元首相の日録

2024/02/25

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【学習 #5-2】宮澤喜一元首相の日録

2024/02/25

今日(2024/2/25)付の朝日新聞朝刊。

宮沢元首相の「日録」見つかる 戦後40年間克明に「第一級の史料」:朝日新聞デジタル (asahi.com)

宮沢喜一・元首相(1919~2007)の40年間に及ぶ詳細な政治行動記録が見つかった。期間は、佐藤栄作内閣の経済企画庁長官に就任した66年12月から死去前年の06年9月に及ぶ。保守本流の政治家として戦後日本の軽武装・経済重視路線を築いた宮沢氏の折々の行動や考えがうかがえるほか、自民党内の権力闘争をめぐる具体的な記述もある。

朝日新聞朝刊(2024.2.25付)

宮澤喜一。第78代内閣総理大臣(在位期間:1991年11月5日~1993年8月9日)、第15代自民党総裁。
東大法学部を卒業し大蔵省(当時)へ入省。池田勇人の財務秘書官になったことをきっかけに政界入りした。自民党内では池田派(宏池会)に所属、ハト派議員とみなされた。早くから総裁候補と目され、ポスト田中角栄(1974年)で総裁に推す声が上がっていたが、田中角栄との折り合いが悪いと言われ、竹下派の支持もとりつけて総裁になったのは72歳の時である。

就任後は、バブル期での不良債権処理、カンボジアへのPKO自衛隊海外派遣、政治改革関連法案の成立など、ずいぶんと難題に取り組まざるを得なかったが、「金融機関への公的資金投入」構想は腰砕けとなり、PKO派遣こそは実現できたものの失言もあり、政治改革関連法案にも二の足を踏んでいた。

その結果が、細川護熙を首班とする連立内閣が成立し、自民党は38年間守ってきた政権から結党以来はじめて下野することとなった。

と、そんな宮澤元首相の日録(要するに日記)が見つかり、朝日新聞と研究者グループとの共同でデータベース化が進んでいるというのですね。大学ノート、実に185冊。政治家人生40年間まったく途切れることなく日録は書き続けられたといいます。

研究者グループの筆頭は、御厨貴東大名誉教授。かつて宮澤元首相のオーラル・ヒストリーを手がけた方です。

算命占法の初学者たるわたしには詳細までは観ることはできませんが、宮澤さんの日干支(生日の干支)は【癸巳(きし、みずのとみ、きすいのみ)】。

「癸巳」は、「これまでの状態に一旦ケリをつけて、新しい段階へ進むべきこと」を示しています。いやはや、15代目の自民党総裁というのも手仕舞にはうってつけでした。
『三礼義宗』には、

巳(し)は起(き)で、物この時に至ってみな尽(ことごと)く畢(おわ)り、また新たに起こる

新規に再出発するにあたっての原理・原則を定めて、それに沿った計画を立てるのがこの「癸巳」であり、次の十干での禍福の如何はこの原則と計画とが状況に見合った正当性を持っているかどうかだと言われます。

下野した自民党は、細川内閣と次の羽田内閣の短命政権のあとに、なんと社会党と連立して再び政権へと復帰します(1994年村山富市内閣)。〈野合〉との批判も浴びたこの政権復帰は、はたして「癸巳」の意味合いに沿ったものだったのでしょうか。

そうそう宮澤さん、この方、月支は【酉(とりきん)】なのですね。酉は文官の星であり、プライドが高い。汚れ仕事を厭うとありますが、政治改革関連法案の成立なんて、ほんと面倒くさいし泥臭いんですが、それに及び腰だったというのはなんとなく肯けます。自分の仕事だと思っていなかったんだよなー。
ついで言えば、見た目は穏やかだが直情型、というのも、数数の暴言・けんか腰な態度を見ると、こちらも肯けますね。

そしてなにより、〈店仕舞い〉の星でもある。

いまのわたしにはこのくらいしか解りません。宮澤さんの日録のデータベース化が終わり、公開される日を望んでいます。

  • この記事を書いた人

nikolaschka

穂座来 萬大(ほざき・かずひろ)。2023年より算命学を勉強中。慶應義塾大学(通信制)文学部Ⅰ類在籍(法学部乙類卒)。 ガンプラ/サイゼリヤ/ブロンプトン/天声人語/ポメラ。明治100年静岡市生まれ。

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