「気分が落ちこんだときとかに、小説をヘタに読むと自分の感情が虚構によって揺らぐことがあるから要注意だよね」と昨夜(23/8/18)一緒に呑んだ知人と会話していた。
その数時間後にその彼女ととんでもない言い争いになり、争い疲れて帰宅し、その余韻を引き摺ったままに今朝からモームのこの短編を読んでいる。小説に自分の気持ちが持っていかれる(より気分が落ちこんだりしてしまう)恐れがあると自分自身で言っていたにもかかわらず。
今回読んだ短編は、グリーン版でのタイトルは「園遊会まで」(Before the Party)。
いわゆる〈南洋もの〉と呼ばれる短編群のひとつだが、訳者の言うように「単純に理解できそうな人物が不可解さを露呈させ、周囲の人たちを驚かせる」のである。
こういう南洋を舞台にした作品では、一見したところ破綻のない人物が、本国では抑圧できていた情熱を思いもよらない暴力的な形で一気に噴出させる。その強烈な勢いに、周囲の人間が怯む。そればかりか、作中人物たちを冷静に観察していた読者も圧倒される場合がある。(「解説」、『マウントドレイゴ卿/パーティーの前に』、光文社古典新訳文庫)
人間というのは、見た目では解らない。その通りだと思う。そしてその言葉に近いような個人的な出来事を経験したあとでは、なおさら小説の余韻は深く残る。