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【学習 #3-6】老荘思想(5) 荘子 1

2024/01/21

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【学習 #3-6】老荘思想(5) 荘子 1

2024/01/21

老荘思想を続けます。ちっとも占技に行かないじゃないかと思われそうですが、まあ「老荘思想」と言っておいて老子に言及するだけというのもバランスが悪いですし。

荘子の紹介はいったん置いておく。
さて、「老荘」と言うくらいだから、老子の思想と荘子のそれとが合致することは少なくない。しかし、留意しておかないといけない点は、思想の合致は『荘子』外篇以下であり、荘子思想の原形といわれる内篇では、その〈様相〉はずいぶんと変わります。

小島祐馬『中国思想史』によれば、

内篇に見える荘子の思想を概言すれば、非社会的、独善的である。

小島祐馬『中国思想史』、p.131

と、辛口である。

善を為すも名に近づくことなく、悪を為すも刑に近づくことなかれ。督(とく)に縁(よ)りて以て経(つね)と為さば、以て身を保つべく、以て生を全うすべく、以て親を養うべく、以て年(よわい)を尽くすべし。

善いことを行うことがあっても、それによって名誉を得ると思ってはならない。悪いことをを行うことがあっても、刑罰を受けるようなことになってはならない。善悪の相対的現象に囚われず無心の境地に立って、これを生活の根本原理としてよりどころとしていくなら、自分を安らかに保って自由な生を楽しむことができるばかりでなく、親にも十分な孝養が尽くすことができ、かつ天寿を全うして、生涯を無事に過ごすことができるであろう。

というくらいの意味らしく、なんというか、良く言えば真っ当な、悪く言えば凡庸な一文なのですが、小島は「これは畢竟『常に自然に因りて、生をを益さず』という自然生活に帰するものと思う」としている。

そして、「自然生活」とは、「不材」の二字にあたるともしている。

「不材」とは何でしょうか。

「不材」とはすなわち、「社会的に無用の人間になること」です。
荘子はこのことを人間世篇にある「斉国の櫟社(れきしゃ)の樹」の話、「支離疏(しりそ)」の話で説明をしているとし、小島祐馬は「荘子の生を養い、或いは生を全うするということが、如何に非社会的、独善的であるかかがわかる」としています。(この項、つづく)

  • この記事を書いた人

nikolaschka

穂座来 萬大(ほざき・かずひろ)。2023年より算命学を勉強中。慶應義塾大学(通信制)文学部Ⅰ類在籍(法学部乙類卒)。 ガンプラ/サイゼリヤ/ブロンプトン/天声人語/ポメラ。明治100年静岡市生まれ。

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