※この投稿は2024/1/4時点のものですが、算命学の要諦のひとつについて書いているので、投稿日付を改めてサルベージしました。
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正月も4日目(2024/1/4)。今日から仕事始めという方も多いでしょうが、わたしはもう少しお休みを頂いています。
貴重な休みであり、大学の試験が迫っているのでその勉強も含めていろいろとやるべきことは積もっているのですが、今日みたいな陽気の日にはほんとうに眠たくなってしまい、昼間には小一時間ほどソファで転た寝をしてしまいました。ハッとして目覚めると子どもたちの塾の送迎時間が迫っていて、慌ててクルマを出したりして。なにをやっているんでしょうか。
処世術としての算命学
算命学はもうすぐ3回目の授業なので前回の復習をしているのですが、ノートを広げると見事なまでに記憶の陥没がそこかしこに見られて愕然とします。前回2回目も、算命学の本質と概略、それに時間と空間との関係を講義していたたきましたが、初回のオリエンテーション的授業とは違ってけっこうなボリュームでした。授業までのあと数日、ノートを見返さないといけません。
今回の講義では、もちろんいくつもの言葉が印象に残ったのですが、その中でも、
算命学は(自分と接する)環境を、自己に合致させることを処世術とする。 ※()内は引用者補注
人は与えられた宿命を生きることが幸せとされる、というのですね。ちなみに〈宿命〉の「宿」には「あらかじめ与えられた」という意味があります。なので「宿題」は家でやってこなければならない課題、ということなんですよね。
閑話休題、先生は上記引用文についてはそれ以上は話されなかったのですが、自分の宿命に対して、自分が置かれた環境は必ずしもその宿命を活かすような性質・属性を持っているとは限らないわけです。宿命が変わらない以上、環境を自分の宿命に相応しいものに変えていくしかない。見つけ出す、あるいは作り上げると言ってもいいかもしれません。でなければ、辛い人生を送ることになる可能性が高い。ゆえに、自分の宿命を知り、それに合致するような環境を探したり構築したりするしかないわけで、算命学はその一助になり得る。ここで言う〈一助〉というのが処世術という意味だろうとわたしは理解しています。そしてその行為そのものが「運命を変える」ということの本質ではないだろうか。と、そんなことを考えたりしています。
今年2024年の干支は「甲辰(きのえたつ)」。その「甲」は東方に位置づけられ、ものごとのはじまりを意味します。せっかくの正月休み、宿命と環境についてちょっと思いを巡らせました。

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