「五行」補遺
董仲舒後
小島祐馬の後生であるから言及しないわけはないと思っていたら、やっぱり上住節子も董仲舒『春秋繁露(しゅんじゅうばんろ)』には触れていました。失礼しました、わたしの見落とし、というよりそこまでページが進んでいなかったのですね。
董仲舒テキストのあとには、班固(はんこ)『白虎通徳論(びゃっこつうとくろん)』(後漢3代皇帝・章帝の建初4年、79年)、王充(おうじゅう)『論衡(ろんこう)』(90年頃)、といった書物において「五行説」に深みが加わっています。
とくに『論衡』は「五行」と占いとを結びつけたテキストとして、かつそこに十二支に動物の名称をあてる慣行をはじめてテキスト化した書物です。
おっと、ついに登場した「十二支」。
ちなみに、十二支に動物の名称をあてる手法は、人びとにカレンダを解りやすく説明するために当時よく使われていた方法なのです。とくに漢の周辺諸国にカレンダを広めるために考案されたということなんですけどね。
しかし、動物名は本来十二支の本義をあらわしたものではありません、というのは上住。ということは、名称は〈方便〉であるのかしら。
ここから先、上住節子『算命占法』では現代までもの「陰陽五行説」発達史の概要が説明されていますが、これはここでは割愛します。
『民主主義を疑ってみる』
慶應通信での法乙(法学部政治学科)時代に、西洋政治思想史の授業で何度もお世話になった、梅澤佑介先生の新刊が出たというのでさっそく購入してきました。慶應通信の法学部は現在の法学部長が政治思想史領域のボスなので、梅澤先生のことは密かに〈若先生〉とお呼びしていました。イケメンだし丁寧で誠実な教え方をされるので、ずっと好感を持っている次第。
さっそくに読ませて頂きますね。
