「五行思想(五行配当)」の完成
小島は、〈宇宙の説明〉として明らかに五行配当が見られるのは、前漢武帝(在位:B.C.141~B.C.87年)時の董仲舒(とうちゅうじょ)『春秋繁露(しゅんじゅうばんろ)』にあるといいます。
そこには相勝相生の両形式を認め、これによってひとり政治上の事件のみならず、すべて人事界・自然界の現象を説明する。ただし董仲舒には五徳終始の説はなく、専ら五行を配当の方面から考え、これによって宇宙の原理を解明せんとする。
彼においては王朝の交代は別の原理、すなわち後述の公羊(くよう)家の革命説によって考えられており、、それは五行説とは一致しないものであるから、彼はただ五行説を配当の方面に発展せしめたものである。
[中略]
(従って五行相生説は:引用者補足)・・・それを五徳終始の革命説に応用することは、そののち劉向(りゅうきょう)に至り始めて見るところである。五行説本来の意味からは劉向の方を相生説の創始者ということができるが、単に五行相生の点から見れば、すでに董仲舒の書にその説を見ることができる。(小島祐馬『中国思想史』pp. 187-188)
事ここに至ると、どれが五行思想の完成形かあるいは正解かということは大した問題ではなく、ひとまずは終着点らしきことを引用しましたが、わたしはただその思想の構築過程をなぞっていくのが楽しく、そしてまた、小島祐馬と上住節子という碩学のそれぞれの話をとても楽しんでいます。
老荘思想から五行配当まで、例えば上住本で言えば上巻の70ページくらいしか進んでいません。
なんと遅遅たることでしょうか。それでもまだまだ勉強は足りないなと感じています。
実際の占技自体はもちろん大事ですが、こうした思想関連のベース(基礎知識)を初期にたたき込んでおいたほうがいい(少なくとも「こういう思想体系、流れなのだ」という前提の理解をしておいたほうがいい)、というのは、慶應通信で、文字通り身にしみて体得したことのひとつです。このあたりの勉強法についても、もしかしたらこれから書いていくかもしれません。
「五行説」が、古代支那において長い年月をかけて精緻化されていき、その過程で「陰陽説」と結合して「陰陽五行説」となって『呂氏春秋』の「十二紀」にそのプリミティブな姿を現した・・・。この結合過程、「陰陽五行説」の成立過程は現時点ではまだ勉強不足ですが、わたし自身の「五行説(陰陽五行説)」のまとめはいったんこれで区切りをつけます。