前回の投稿で、「老子は陰陽においては陰に重きを置いた」云々と書きました。
【学習 #3-8】陰陽(2) | 學のほそ道 ~ 燕居青麓庵 (hozakik.com)
『道徳経』における陰陽、という言葉よりも、老子の思想の中にその考えが見てとれるということなんでしょう(『道徳経』についてはここまで言及していませんでした。どこかで書きましょう)。
陰陽は、たとえば下記の表のように相対的性質を持つものを分類します。陰陽は善悪をあらわしているのではなく、両要素は対等です。相対的であり差別的。お互いに補う性質であり、「この両者の和合が宇宙現象の基本となる」(小島祐馬『中国思想史』)。
陽 | 光 | 明 | 剛 | 火 | 夏 | 昼 | 男 | 動物 | 宇宙 | 東 | 表 | 伸 | 南 | 右 |
陰 | 影 | 暗 | 柔 | 水 | 冬 | 夜 | 女 | 植物 | 地球 | 西 | 裏 | 屈 | 北 | 左 |
老子においては、
たとえば「柔和」「柔弱」「柔よく剛を制する」、
「上善如水」「水は方円にしたがう」、
「不争」「夫(そ)れ兵は不祥の器(き)、物或いはこれは悪(にく)む、故に有道者(ゆうどうしゃ)は処(お)らず。君子、居(お)れば即ち左を尊び、兵を用うれば即ち右を貴ぶ」、
といったような文言に、陰を重要視する考えが見てとれる。そう上住節子は言いたいのでしょう。
さて、ここまで書いてきて個人的に気になるのは、「陰陽」という考え方は老子のオリジナルか、ということです。「陰陽」は『易』の根本原理でもあるからですね。
結論からすると、どうやら老子オリジナルではないらしい、というくらいしか理解できていないのですが。
- (B.C.26)『老子』『荘子』のテキストが成立
というのは、森三樹三郎『老子・荘子』(講談社学術文庫)の老荘関連の巻末年表にあります。
しかし、その年表ではB.C.240に、秦の宰相・呂不韋が編集指示した『呂氏春秋』には『老子』『荘子』の系統を引く説が多く含まれているとありますから、「戦国後期の活発な思想界のなかで(『老子』の原本のようなものが:引用者註)作られたとみるのが、最も妥当なことだと思われる」(金谷治『老子』講談社学術文庫、p.266)という認識をまずはしておきましょう。ちなみに、支那の「戦国時代」はB.C.403(晋が韓・魏・趙の三国に分裂した後)~B.C.221(秦の統一)までとする説が有力。
一方で、陰陽は、殷(B.C.17C~B.C.1046年)代に生まれた、「起こるか/起こらぬか」の二者択一を基礎とした占いから、戦国時代に抽象的概念化した言葉です(平勢隆郎『都市国家から中華へ』講談社学術文庫、p.482)。
陰(--)、陽(ー)とあらわし、後の『周易(しゅうえき)』の体系論の基礎となった考えです。
とすると、陰陽に関しては老子はそれを受容したのだと言えそうです。そして易とも近しい関係にある。算命学が一時期廃れて老荘思想に紛れてそこへ逃げ込み生き延びた、というエピソードを先生から伺いましたが、なるほど算命学が老荘思想と親しい関係にあるゆえに可能だったことなのでしょう。