なんの展望もないまま、わたしは読み続けていた。そうすることに意味を感じていたわけでもないし、いまとなっても、なにか成果があったとは思えない。
横光利一が一九三〇年に発表した『機械』という、原稿用紙にすると五十枚ほどの短い小説を、ある出版社が刊行した日本文学集のたぐいの、ぶあつい本を開いて見つけ、おそらく『機械』というタイトルに惹かれて読みはじめたのではなかったか・・・いや、わからない・・・もっとちがう理由があったかもしれないし・・・あるいは・・・もっとべつの・・・いや・・・しかし・・・というほどに、記憶もひどく曖昧だ。そのことはまたあとで書こう。ともあれ、そうして毎月、ゆっくり読みを進め、「読み」について短いエッセイを書く連載が続いた。
いったいこれはなんだったのだ。
だが、わたしはこれを、ひとつの冗談として書いていたことはたしかだ。
十一年と数ヶ月だ。ひたすら読んでいた。といっても、短い小説なので、一回に読む分量は、せいぜい五行ほどだ。(『時間のかかる読書』より)
一時期、宮沢さんの本をずっと読みふけっていた時期があり、申し訳ないが彼の芝居にはほぼ興味が無く、エッセイだけをひとり楽しんでいた。
合掌。ご冥福をお祈りいたします。
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